このツイートを見て心がザワッとしました。
人のことを試してもメリットはほぼないので試そうと思った時点で少し離れた方がいいかもしれない。『試す』って、もう『壊す』に近いから。
— sleep (@sleep1111) 2017年3月31日
ぼくもやっちゃってたんです。これ。
試して良いことなんてなかった
2017年の3月、がまたろうという友人と一緒にアメリカに行ったときのことです。
その日は彼が調達した金沢名物の鍋を、ロサンゼルスのゲストに振る舞うイベントの日で、彼がリーダーとなって指揮をとっていました。
パーティー用の食材を買い出しするために、レンタカーに乗って2人でスーパーに向かってたんですが、不運なことに道中でタイヤの空気が抜けちゃって走れなくなってしまったのです。
ここで1時間ロスするとパーティーに間に合わなくなってしまうので、一刻も早くタイヤを交換してなんとかしなければいけません。
満足に英語を話せないぼくたち2人は、ここで知恵を絞って協力しあえばよかったんですが、ぼくは
ほーく
そう思ってしまったんです。
結果、近くの修理工場を探すのも彼、英語で修理工場の人に状況を説明するのも彼の役割になりました。
慣れない場所で慣れないトラブルに焦る彼の姿を見て、無事に目的地に着いてからも、本当に申し訳ないことをしてしまったとずっと感じてたんです。
トラブルをどう解決するか2人で出し合い、出てきた選択肢から決断をするのであれば、リーダーの彼に任せてよかったでしょう。
ですが、この緊急事態そのものを全て彼の責任にしてしまった。
こんなことしても何も良いことはないと強く感じて「もう試すようなことはやめる」と後日彼にも伝えました。
そこから帰国し、しばらくして冒頭のツイートを見ることに。
こうして人は失敗を恐れて挑戦しなくなる
試してるときは、相手も試されてるのをわかっています。
それが続くと何が起こるかというと、「また何か言われるんじゃないか」「失敗したら責められてしまうんじゃないか」と、相手の顔色を最初に考えるようになってしまいます。
ぼくも同じように「あえて何も言わずにやらせてみる」というのがバレバレの環境にいるときにそういう気持ちになりました。
これって結果的には何も産みません。
試す側は「考えさせるためにやる」とか理由を言いますが、チームの中に見えない上下関係を作るのは、どう転んでも良い展開にはならないんです。
人は心から納得しないと進んで行動しない
世界的にヒットしている名著の「人を動かす」という本にこんな一文があります。
人間の行動は、心のなかの欲求から生まれる
…だから、人を動かす最善の法は、まず、相手の心のなかに強い欲求を起こさせることである。商売においても、家庭、学校においても、あるいは政治においても、人を動かそうとするものは、このことをよく覚えておく必要がある。
これをやれる人は、万人の支持を得ることに成功し、やれない人は、ひとりの支持者を得ることにも失敗する。
(略)
人を説得して何かやらせようと思えば、口をひらくまえに、まず自分にたずねてみることだ
「どうすれば、そうしたくなる気持を相手に起こさせることができるか?」
これをやれば、自分勝手な無駄口を相手に聞かせずにすむはずだ。
無理やり自分を思い通りに動かされたり、試されたりするのを喜ぶ人はいません。その場では言うことを聞いているように見えても、強制されているように感じて不信感をもちます。
進んで行動するのは、その人自身が「やりたい!」と欲求を持っているとき。相手が「なぜそれをやるのか」納得できる説明がものすごく重要だと感じます。
今回の反省を生かして、誰でもできる「人を試す」から距離を置き、お互いが進んで行動できることを考えた立ち振る舞いをしていきます。反省!
追記:修羅観音様からありがたいお言葉をいただきました。合掌
Twitterでいつも学ばせていただいている修羅観音様からとっても良いツイートと言及記事をいただきました。
仏教の観点から、この記事よりもさらに詳しく「人を試す」ことについて解説してくださっています。ぼくも感動して読んでしまうくらい良かったです。合掌
▼記事はこちら
「あえて言わない」「答えを教えない」と人を試す事の落とし穴|コンサルタントや指導者は10回読むべし
まさに。これを「自分が楽をするため、責任逃れのため」という、我利に基づいてやっている似非コンサルタントや指導者たり得ぬ自称指導者の如何に多い事か。相手との関係も、相手そのものも壊しますし、「答えをずばっと教えた方が、最良の結果になる」という可能性をも捨てる怖さがあります。合掌 https://t.co/qhK1odmNUv
— 修羅観音 (@syurakannon) 2017年4月10日