最近ネットしてるといろんなところで目にするヨッピーさん。先日もめちゃくちゃ面白そうなエントリーが上がってました。
Windows2000の起動音に感動しました。名曲。
さて、このエントリーの最後に
「僕はこうだった」というのがある人は是非それを書いて欲しい。
とあったので、楽しそうだし書きます。
ぼくは1988年生まれで、Windows95が発売された1995年にインターネットに初めて触れました。
そう考えると、同世代に比べてネットしてる方だと思います。小学1年生の頃にはWindows95が家にやって来て、ネットに繋がる環境だったので、ネット歴は20年ということになります。
2015年で27歳になる歳なので、人生の70%以上をインターネットと過ごしてるわけです。
目次
インターネットはゲームの攻略情報ゲットに使う
自分で思い出せる最古の記憶が2歳後半なんですが、その頃はアンパンマンの絵本を読むのが趣味でした。
入園した幼稚園では絵本のレンタルが可能だったんですが、「なんかレアだから」という理由でカレーパンマンが大好きだったぼくは、幼稚園にあるカレーパンマンの本を読破。ヘタするとカレーパンマンだけで3周くらいした気がする。
思えば昔から外で遊ぶより家の中で何かをするのが好きでした。超インドア派です。
年長になるとスーパーファミコンがやってきてゲーム三昧。ドラえもんやドラゴンボールのゲームにハマってました。
ハマってたゲームの一部
小学校に入学してしばらくしたある日、ハイテク機器好きの父が富士通のWindows95マシンを買って帰ってきます。
こんなやつ(出展:中古パソコン 販売・買取・廃棄引取・修理・サポート パソコンビニエンスMURAOKA (株)村岡商会)
母はいきなりの出費に驚き、夫婦喧嘩してた気がしますが、ぼくは「スーパーファミコンっぽい何か」が来て興奮したことを覚えています。
今となってはマシンスペックもなにも覚えてないんですが、15インチのCRT(ブラウン管)ディスプレイだったことはハッキリ覚えてます。きっと当時だとかなり高額だったんじゃないかなぁ…。
この頃のインターネットは、ダイヤルアップ接続という恐ろしいもので、
- 青天井の重量課金制
- 繋げるのに30秒ほど時間がかかる
- 接続中は電話が使えなくなる
- クソ遅い(56kbps)
などの特徴があります。今携帯の速度制限受けても128kbpsなので、ダイヤルアップ接続の2倍以上速いんですよ?日本人恵まれすぎでしょ!
ダイヤルアップに接続するときの音。懐メロ。
このダイヤルアップ接続、小学生だったので金額は知りませんが、使えば使うほどお金がかかる恐ろしいもので、1日10分までと制限されてました(小学校高学年からは30分に拡大)。
また、ネット接続中は電話が使えなくなるので、友達が「お前の家に遊ぼうって電話したのに繋がらんから直接来た」ということが何度かありました。かたじけない。
それから時間が過ぎていき、どちらかと言うとゲームオタクだったぼくは、ネットで遊ぶというより、ゲームの攻略情報をゲットするために毎日10分格闘しておりました。
他の用途と言えば、学校に転向してきたチェコ人のシュマくんとHTMLメールで背景とか文字色変えて文通してるくらいですかね。
「メールアドレス」って概念を知らなくて、シュマくんが「アドレス変えたよ」って紙くれたんですが、捨てました。
で、今までと同じメールアドレスに送っても返事がなくて、代わりに「mailer-daemon」と文通するようになり(注:届いてないってこと)、自然と文通も終わりました。
しかし、そんなぼくにも転機が訪れます。
ADSL開通と同時にネット中毒と化す
そう、ADSLの登場です。あれは中学1年生のことですね。
ADSLとは、今の光回線などと同じ定額制のものですね。速度が速いといいつつも、当時1.5Mbpsのタイプしかありませんでした。
それでもダイヤルアップ接続の25倍以上ですからね。ちなみに、ISDNというものもあったんですが、ウチは導入してませんでした。
父の「石川県にもADSLがいずれくる。お金を気にせずに、ずっとインターネットができるんだぞ!画像なんてスッと表示されるんだぞ!」という言葉に興奮し、毎朝起きるたびに「ADSLきた?」と聞いていたことを覚えています。
ある日、野々市のヤマダ電気にADSLを体験できるパソコンがあると聞きつけ、休日に父と朝一で向かった日のことは今でも鮮明に覚えています。
2階のエスカレーターを上がるとそこには「ADSL体験できます!」の文字が。いつも開いてる@niftyの表示速度がめちゃくちゃ速い!
当時FF10のアーロンの壁紙を家でダウンロードするのに1分くらいかかった記憶がありますが、ADSLだと3秒くらいで終わるわけです。こんな幸せな世界に生まれてよかったと、ガチで思ったほどです。ホントに。
父も興奮したようで、その日にADSLを契約。
ADSLが我が家に来てからというもの、毎日FF10の情報や攻略掲示板を覗く毎日。ゲームも中盤に進んだ頃、人生の転機は突然あらわれます。
なぜかゲームをプレイするより、ネットの攻略掲示板を見てる方が楽しくなってきてしまったのです。
「1時間前に書き込んでる人がいる。短い間にどんどん新しいことが出てくるとかマジすごい」的な感動で、ネットの世界にずーっとのめりこむようになります。プレステ2はどんどんホコリをかぶっていきました。
自作パソコン作りにハマる
2ちゃんねるを知り、ネオむぎ茶のバスジャック事件などは2ちゃんねるで起こったことを知ります。「ネットってすごすぎ!」とか思ってましたね。その頃は「ネット=悪」みたいな図式があった気がしますが、構わずやってましたね。
と同じ時期に思春期がやって来まして、友達とエロサイト巡りしてたら「ダイヤルQ2」に引っかかって高額請求書が家に届き、家族会議に。あのときのリビングの気まずい雰囲気はあの日1日のみです。とりあえず友達のせいにしておきました。
会議中、「あぁ、ドラゴンボールを家族で見ててブルマがおっぱい出したときの雰囲気ってこんなんなんかな…」って思ってました。
以降、ダイヤルQ2に引っかからずにどうエロサイトを見るかがぼくの永遠の課題に。
中学2年生になると、ネットとパソコンを愛しすぎて自作パソコンを作るようになります。父と毎週パソコン工房に行き、買いたいパーツに目星を付けて、おこずかいやお年玉をゲットしたらパーツを購入して組み立てていきました。
今の人は「ASUS」と聞くとパソコンメーカーの印象があるかもしれませんが、ぼくの中でASUSは高級なマザーボードのメーカーです。値段が高かったので、ぼくは「GIGABYTE」ってところを買いました。
HDDも頑張って容量大きめのもの(256GBとかかな?)を用意しましたね。メモリも512MBとか積んで。その代わり、CPUは有名なインテルのものじゃなくてAMDのアスロンってやつになりましたが。
OSはWindows Meが不評だということでWindows2000を購入。Windows史上、一番好きなOS。結局、高校まで自作PCにハマってたので、計3台くらいは作りました。
写真を撮ろうといろいろ探しましたが、なんにも見つかりませんでした。捨てたみたいです。
Macの美しさを知る
ある日、WindowsXPが発売され、迷わず購入。デスクトップのテーマ(見た目)の変更にハマります。
ネットに色んな着せ替えテーマがあって、アイコン1つにもこだわってました。あの頃の執念はすごかったです。
BIOSをいじったりdllを改造したりとなんか危なっかしいことしてましたね。OSの再インストールを行った回数も数えきれません。
いつものようにテーマをネットで探してると、「Mac風テーマ」なるものを発見します。さらに調べていくと、ホンモノのMacのデスクトップ画像に到達したんですが、そこで美しさに衝撃を受けます。
「Appleって会社はWindowsじゃなくMacというものを出しているのか。ヒラギノフォント、めっちゃ美しくね?」と感じたぼくは、ヤマダ電気に向かってチャリを走らせます。Macを見るために。
そこで見たMacはやっぱり美しい。色んな人がWindowsを見ている中、誰もMacを見てないのもカレーパンマンと同じ「レア感」があってステキ(人気ないだけかも)。
しかし、中学生のぼくにはめっちゃ高かったのです。20〜30万円くらいだった記憶。働いてお金が貯まったら買おうと決めた中2の夏。
そこからは2chを見たり、仲の良い友人たちと一緒に利用するためにホームページにチャットを設置したりと色々してましたが、天才中学生のようにプログラミングを始めたり、HTMLやCSSの勉強を始めることはありませんでした。
ネットが少し詳しいヤツってレベルです。Yahoo!JAPANのアドレスを直接打ち込んで表示しただけでも「こ、こいつ…詳しいッ!」ってなってた時代。
「学校の先生にはとても詳しいヤツ」と思ってもらえて、修学旅行の交通費用を調査する係のリーダー的なやつをやりました。出発地と目的地を聞いて、バスとか電車の値段を「駅すぱあと」ってアプリで調べるだけの簡単なお仕事でした。
この頃はYahoo!BBを筆頭に、ボールペンやメモ帳が入ったプロバイダの資料がたくさんあったので、家にボールペンがあふれてたのを思い出します。
思春期でネットから遠ざかる。脱オタクを目指す
そんなこんなで受験勉強をろくにせず、ネットばっかりしてたせいで高校受験に失敗し、チャリで30分もかかる私立高校へ進学したぼく。
部活に入ると「とっとこハム太郎」が見られないという理由で入部したバドミントン部を1日で退部するくらい、適当な生活を送っておりました。
高校生になってからは、人生で初めてApple製品を購入しました。iPodです。
操作性が画期的でした
当時は結構珍しかったみたいで、休み時間になったらクラスメイトがiPodを借りに来て、勝手に音楽聞いて「お前趣味悪いな」とか言われて凹んでた気がします。
もしタイムマシンがあったら、あのときの自分に「そこキレるポイントね」って伝えたいです。
高校生の頃は、ネットをしつつテレビを見たいという欲求が強く、部屋にTVチューナーを取り付ける工事を行い、パソコンにチューナーを取り付けて、テレビを録画できる環境に改造したのが印象的です。
しかし、それを除いてインターネットやパソコンの想い出はあまりありません。外見のオタクっぽさがすごすぎて、一生結婚できないんじゃないかと思い、オタク卒業を試みたからです。
財布はマジックテープだし、制服のポロシャツのボタンは全部閉めてるし、ポロシャツはズボンにINしてるし、同じクラスに女子いるのに全く話せないから結婚できない気がする!エロサイトだけで人生を終えるとかイヤだ!と相当悩んでいた時期です。
「俺は何故オタク道を歩んでしまったのか。全人類が俺をキモがっている」などの妄想が働くようになり、ファッションに興味を持つようになります。行動のどこかにオタク臭出ては困るという理由で、とっとこハム太郎も見ないようになりました。
卒業アルバムより。人生で初めて髪が耳にかかったのが高校時代の想い出です。
高校3年生には、彼女はできないにしても将来的に結婚はできそうな気がしたので外見の脱オタク作戦が完了しました。ちなみに内部は今もオタクのままです。
勉強に関しては、特進クラスにいたものの、ネットばかりしていて大学受験も失敗。滑り止めの私立大学に進学。
iPhoneの前身である「iPod touch」を購入
大学に入学し、iPodが石川県にも浸透しきった頃「インターネットに繋がるiPod」が登場します。
そう、「iPod touch」です。
これは革命や!と、当時貯金してた全財産とお年玉を駆使して購入しました。約5万円でした。当時はApple純正のアプリしか使えず、背景の壁紙も変更不可、かつ容量も16GBしかありませんでした。iPhoneが日本になかった頃のお話。
ガラケーでネットする意味がわからなかったぼくにとって、パソコンと同じインターネットがこんなに小さいデバイスの画面で見られるのは大革命でした。
喜んで購入するも、動作がめちゃくちゃ遅かったので、実用に耐えず飽きます。iPhone 3Gが日本で販売されてもスルー。
結果、大学4年(2010年)までガラケー使いでした。
この年(2007年)は近所の焼肉屋でバイトしまくって、念願のiMacも購入しました。
iMacはちょー気に入りましたね。デスクトップなのにコードが少ないし、HDDほぼ無音だし、なんといってもMacOSが美しい!うっとりしてました。
mixiがやってきた
mixiのサービス開始は2004年ですが、高校時代オタクだったぼくにリア充サービスのお誘いが来るわけもなく、初めて利用したのは2007年。大学1年の頃でした。
大学は工業系だったので、女子がクラスに7人ほどしかいなかったんですが、奇跡的に授業でかわいい女子と同じ班になります。
間違いなく2007年はぼくの第一次黄金期と言ってよいでしょう。もはやインターネットよりそっち書きたい。その子は全く「こいつオタクやん」って顔をせずに話してくれたんですよね。高校3年で見た目は脱オタクできてたはずなので、作戦成功です。
当時mixiは招待がないと入会できなかったんですが、その女の子がぼくを招待してくれて、ぼくのことが好きなんだと思ってました。カラオケもめっちゃ練習したし、ミスチル歌えばイチコロやんって確信。1週間後に彼氏連れて歩いてました。
iPhoneとSNS
大学4年生になった頃(2010年)。大学の研究室でiPod touch第3世代が配られました。第1世代の落胆もあったので、余計に「サクサク動く」「アプリが便利」「ネットめっちゃ速い」に感動。
このデバイスを屋外で使えたら最強すぎることを直感したぼくは、iPhone 4の購入を決意。スティーブ・ジョブズのキーノート(プレゼンテーション)を見て、購買意欲は高まるばかり。
大学2年のときにできた彼女に毎日「iPhone4は白と黒どっちがいいかなー?」って話してたら、「私とiPhoneどっちが大事なの?」って聞かれるくらい待ち遠しかったんですよ、ホントに。
結局iPhone 4のホワイトモデルは発売日には出てこず、ブラックモデルを購入しました。発売日に学校休んで朝一で取りに行ったのがいい思い出です。
やはり想像したとおり、「パソコンを片手で持ち歩ける」衝撃はすごいものでした。iPhoneを持ってなかったときに暇だったら何してたか思い出せますか?ぼくは思い出せません。
TwitterやFacebookもこの頃に知って利用開始。当時は周りの友人にFacebookをやってる人なんていなかったので、放置してましたが、ネットやりまくってるからか、どんなサービスも登録だけは周りより早かった気がします。
2012年、ブログ界隈が盛り上がる
就職してプログラマーとして過ごす日々が始まった2012年。
いつものようにAppleの情報を追いかけてると、「ブログがなんだか盛り上がってるらしいぞ!」って情報をキャッチしてブログを開始します。
「プロブロガー本」と呼ばれる書籍が発売されたのもこの頃ですね。
普通の人がブログを書いてご飯を食べてるのが、ものすごく意外かつ衝撃でしたね。ブログ発のオフ会なんかもこの頃から盛り上がりを見せていて、いくつか参加させて頂きました。
プロブロガーとして生活してる人の多くがいい意味で変人だったのが印象に残ってます。
当時ブロガーとしても超人気だった小飼弾さんにお会いしたのもこの年でした。ニコ生の企画だったんですが、噂の「ご自宅の壁一面が本棚」ってのも実際に見られて、めっちゃ感動しました。
緊張してビール飲みました
2012年、Kindleの登場で電子書籍やメールマガジンも盛り上がる
ブログが盛り上がったのと同じ2012年、Kindleが日本でも発売を開始して、一気に「電子機器でまとまった文章を読む」というのが普及し始めたように感じます。
堀江貴文さんが筆頭となった有料メールマガジンもこの頃からいくつか購読し始めました。
「スマートフォンが情報収集のツールとして本格的に使える」と一般的に認識され始めたのがこの年だったように思います。だからこそブログ、電子書籍、メールマガジンなどの文字を主体としたサービスが盛り上がったのでしょう。
その後、モバイル通信速度が劇的に向上し、3GからLTEに移行するにつれて、動画で飯を食う「YouTuber」も脚光を浴びます。
今現在とこれから
振り返ると、ぼくの人生、大体インターネットでした。愛してるかどうかというよりも「無いと無理」な感じです。
今はスマートフォンを多くの人が手に入れて、「まだスマホじゃないの?」という会話が交わされるようになりました。
僕自身もiPhone 4を手に入れてから、4S、5、5s、6と毎回買い換えてきたものです。
現在はIoT(インターネットオブシングス)といって、電化製品などのモノをインターネットに繋げ、さらに便利な世の中にしていこうという流れになっています。
もはやインターネットのない世界は考えられません。今でこそ世界中どこにいても仕事ができちゃいますが、ぼくが生まれた頃はまだ不可能だったんですよね。進歩の速度ハンパない。
近い将来には自動運転車も登場します。「まだ自分で運転してんの?」なんて会話が交わされる日も近いかもしれませんね。
長いことインターネット自分史を振り返ってみて、いちばん衝撃的だったのはiPhoneを手に入れたときです。もう少し年齢が上の方は、同じ衝撃をインターネットの登場でも感じているかもしれません。
ぼくはインターネットに関しては、小学生のときから「存在する」ものだったので、そこまでの衝撃を受けてませんが、iPhoneに関しては凄まじい衝撃でしたね。
しかもiPhone、この世に生を受けてから10年経ってないんです。
10年前にiPhoneが登場する未来を確信できた人は世界にどれくらいいるでしょうか。
今から10年後、この世界がどうなっているか分かる人はどれくらいいるでしょうか。
ぼくは何か買うとき、いつもそのことを頭に浮かべます。そして、1つの答えが導かれるのです。
「10年後、どうなってるかなんてわからん。生きてるか死んでるかさえもわからん。だから今のうちに好きなことにお金を使おう」と。
そして今月、毎月返還してる奨学金の引き落とし口座にお金がなくて「引き落とし不能」の連絡が来ました。せめて数ヶ月先の支払いは見通せるようになりたいです。